続・心機一転

2007年 09月 14日 ( 1 )




4億元の方程式

長いよ。今まで訳した記事の中で一番難しかった気がする。後半gdgdですので4649。
林俊傑のニューアルバム「西界」と星光幇の「星光同学会」は同じ日に発売され、メディアによれば星光幇は楊宗緯人気にあやかり市場のトップを独占しているという。しかし、経営主の林秋離の目には林俊傑こそが完勝を勝ち取っているように映る。なぜなら、彼は全アジアで5枚目のアルバムを発売して海蝶レコードに4億元近くの偉大な興行成績を築いたのだから。不況に喘ぐ中華レコード市場における鶏群の一鶴である彼らはいかにして成功したのか?

(※プロフ割愛)

林俊傑と林秋離の二人は、公においては歌手とプロデューサー、作曲者と作詞者、千里馬(千里を走れる名馬)と伯楽(馬を見分ける名人)の関係だ。さらにプライベートでは何も話さなくとも分かり合える良い友人関係である。だが、もし林秋離の慧眼によって彼が見出されることがなかったら、林俊傑は台湾に夢を求め、成功する保証のないシンガポールの一ミュージシャンにすぎなかった。レコード業界には成功を求めてやってくる新人が後を絶たない。彼はどのようにして林俊傑を成功させたのだろうか?

林秋離:星光幇は確かにダークホースです。しかし台湾を離れてみるとそうでもありません。私は始めから台湾の一つの市場だけに頼っていては一つの産業は支えられないと分かっていました。だから最初にあれこれ林俊傑の戦略練り、巨大な中華地域全体に狙いを定めたんです。

林俊傑:僕の目標は伍思凱になることです!僕は伍思凱のファンなので、16歳のときからずっと彼のように素晴らしい歌を作れないかなと思っていました。僕の一番大きな夢は彼と同じように全ての人に自分の歌を聴いてもらうことです。

一歩一歩着実に前進

林秋離は段取りを決めて事を進め、林俊傑は一歩一歩着実に前進した。彼は陳潔儀と阿杜のアシスタント・プロデューサーを務めたことがある。まるでお供のように先輩に付き添って回っていた。また、彼には両親から譲り受けた伝統音楽の素質があったわけだが、林秋離はどのように彼を訓練してヒットメーカーに育てたのか?

林秋離:林俊傑の父親は二胡の名手で、母親も琵琶の演奏が上手です。さらに二人とも費玉清の歌を好んで聴いていて、彼は幼い頃から両親の薫陶を受けてきました。音楽の細胞が富んでいて、16歳で歌を書き始め、好奇心旺盛な少年でした。林俊傑はシンガポールで選抜された後、2000年に台湾へ来て海蝶レコードの育成訓練を受けました。その後再びシンガポールに戻って兵役に就き、二年間練磨しました。そこから彼という人間性がよくわかりました。

林俊傑:僕は2年半(軍の)芸術工作隊にいました。除隊後に僕を必要としてくれる人がいないのでは、と毎日不安でした。そこで僕は自分に言い聞かせました。華人世界でみんなが歌える歌を作ればいいんじゃないかと。そして僕は毎日時間さえあれば歌を書いて、百曲ほど作り上げました。百曲あれば、少なくとも1曲ぐらいは先生に気に入ってもらえるだろうと思いました。先生に僕の歌が受け入れてもらえなかったときは傷つきましたが、そのときも僕をしかったりせず、他より強くなれ、トップになれと言ってくれました。僕は決して最初から自分に何が合うのか分かっていたわけではありません。ロック路線も試しましたが、今から思うとあの頃の僕はロボットのようでしたよ。ハハ!今ではもう自分が何に長けているのかわかりましたし、デビット・タオや周杰倫とはまた別に、自分の道を歩みだしたんです。

時間さえあれば作曲

林俊傑が4年前ファースト・アルバムを出したとき、大陸の20数箇所の都市を走り回ってプロモーション活動を行い、歌の創作とその量に人々は驚いた。当時SARSが猛威を振るっていたが、彼は依然として一生懸命回って、その合間に曲を書き続けた。忙しさの中で一体何が彼に作曲を続けさせたのか?

林俊傑:疲れてもホテルに戻ればまたずっと書き続けました。万里の長城へ行ってプロモーション活動を行ったとき、その土地を踏んで「曹操」を生み出しました。また、兵馬俑を見て当時の人々の生活を想像し、ホテルで「第二天堂」を書き上げました。大陸には2回ほど3ヶ月単位で続けて行きました。あの頃の時間の蓄積のおかげで自分のスタートが見つかったし、自分の音楽に対するスタンスもはっきりしました。

林秋離:JJは多くのプロモーションを行って遠くの地へも行きました。その過程で多くの感銘を受けて、中国風をR&B、HIP HOPに取り入れました。プロモーション活動が終わると彼はまた4,50曲を私によこして選定させるんです。彼が「江南」「第二天堂」をよこしたとき、私は彼がすでに自分のスタイルを確立させたなと確信しました。それはハッキリと鮮明に、壁を突き抜けたということです。

良い子すぎて遊びを知らない

林俊傑は他のシンガポール・アレーシアから来た歌手とは違う。他はアルバム発売のときだけ台湾に来てプロモーション活動を行うが、彼はほとんど台湾に住んで台湾を事業の地としている。JJが一人で台湾で頑張っている姿を見て、林秋離はどのようにして友人をもてなしているのか?

林秋離:彼は良い子すぎて困っているんです。彼は保守的な気質のシンガポールから来て、人生経験もまだ浅い。だからもっと外へ出て遊んで、生活を体験して感じ取ってほしい。そうしてそれを自分の音楽の助けにしてもらいたいんです。以前私の友達とpiano barへ行って彼も一緒に飲もうと誘ったのですが、着いたらとても困った様子をしているんですよ。それからは彼を連れて行くのはやめました。

林俊傑:アイヨーあの頃の僕は台湾に来たばかりでとても照れ屋でしたが、今は違いますよ。芸能人の友達とも仲良くしています。柯有綸、潘瑋柏、王力宏、小豬、蔡依林など、彼らとお茶したり話をしたりしています。

取材覚書

初めて先生兼経営主である林秋離と一緒に取材を受けた林俊傑はまるで優等生のようだった。先生の言葉にきちんと耳を傾け、話を振られると自分の考えを述べていた。
「彼は本当に優秀です。私は今まで彼に難題を提示したことはありません。ですが
彼はいつも自分で事を掌握して良い結果を出します」
彼は二言目にはすぐ林俊傑を褒める。たとえ二人の意見が合わなくてもケンカをしたことはないという。二人には共通の認識があり、すべての意見はみな良い作品のためであり、意見を述べた後はみんなで会議を開いて決める。そうすればケンカなどしないと林秋離は語る。
多くの歌手達が曲を書いて提供したりタイトル曲にしている。林俊傑曰く、どれほどの歌が日の目を見ないかは数知れないという。彼が毎日曲を書き続ける様子を見ると、今日の彼の成績があるのは林秋離の慧眼の他に、彼の朝から夜までの不断の努力があるからだとわかる。神は志を持ち本当に努力する人には背を向けないのだ。

                  ソース:林秋離╳林俊傑4億身價成功方程式
すんごい疲れたヨー誰か差し入れ下さい。
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by kaoga-fuketa | 2007-09-14 00:57 | JJ林俊傑
初音ミクの新しいゲーム面白いです。
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